分析コラム・採用設計
採用は「いくら出すか」だけで決まらない
採用がうまくいかないとき、多くの人がまず「もっと年収を出せば採れるのに」と考えます。予算を上げれば採れる、というのは半分は正しいものの、実際には年収を上げられない事情のほうが多く、そこで止まってしまいます。
ところが、全国171エリア・30職種の公開求人データを採用する側の視点で読み直すと、採れるかどうかは提示する額だけで決まっているわけではありませんでした。同じ額でも、求人票の「要件の書き方」「認める働き方」「募集するエリア」の設計しだいで、集まる人の数もレベルも大きく変わります。年収という一つのレバーの手前に、実は3つの設計余地があります。
本稿では、その3つ、つまり要件・働き方・エリアを、公開求人の相場データから具体的に見ていきます。年収を上げられなくても勝てる余地がどこにあるのかを、採用担当者の実務に沿って読み解きます。
この記事の見方(データの土台)
土台にするのは、全国171エリア・30職種の公開求人から集計した提示給与(月給×12)と、職種ごとの年収帯別スキルです。本稿で「相場」と呼ぶのは、公開求人が提示している給与の中央値です。たとえば「Webエンジニアの相場は約350万円」は、全国の公開求人の提示額の中央値がその水準だ、という意味です。
もう一つ使うのが、職種ごとに年収帯を3段階に分け、それぞれの帯で求人票が求めるスキルを整理した年収帯別スキルです。下位帯は実務1〜3年の標準的な経験、中位帯はそこに専門的な実績が加わる帯、上位帯はマネジメントや事業責任が入る帯です。この2つを重ねると、「いくら出すと、どのレベルの人に届くのか」が読めます。
なお、数値は公開求人の提示額(月給×12)で、在職者の実年収(賞与込み)とは集計の仕方が異なります。採用担当者にとっては、実際に求人票へ書く提示額のほうが判断に近いため、本稿は提示額ベースで揃えています。
1設計① 要件:欲しい人材を「どう定義するか」
最初の設計軸は、求人票の要件です。誰に来てほしいのかを言葉にする部分で、ここのズレが、応募が来ない求人によくある原因です。欲しい経験の値段、要件の盛り方、書き方、必須要件の絞り方、そして育成という選択肢。要件をめぐる5つの観点で見ていきます。
欲しい経験には、別の値段がついている
求人データを見ると、30職種すべてで、提示額の中央値はその職種の最も下の帯にありました。Webエンジニアの相場は約350万円で、これは実務1〜3年の標準層の帯です。法人営業は336万円、経理は350万円、人事は336万円、いずれも同じく下位帯にあたります。つまり相場の額で募集するということは、その職種の標準的な経験を持つ層に向けて出している、ということです。年収帯は市場の相場に沿って引いているため、多くの人が下位帯に位置するのは自然な結果ですが、裏を返せば、相場の額では標準層より上には届きにくい、ということでもあります。
ところが採用担当者が実際に欲しいのは、多くの場合その一段上です。SaaSの開発経験、連結決算やIPOの経験、データ基盤の構築経験、採用責任者やマネジメントの経験。これらは年収帯別スキルの中位帯に現れる、いわば即戦力の条件です。そして、その経験は相場の額には乗っていません。相場との差が、その経験に市場がつけている値段です。
- Webエンジニア 相場(下位帯)350万 即戦力の入口500万〜 +150 SaaS・自社プロダクト開発、API設計
- 法人営業(BtoB) 相場(下位帯)336万 即戦力の入口500万〜 +164 SaaS/エンタープライズ営業、大型案件
- 人事(採用・労務・HRBP) 相場(下位帯)336万 即戦力の入口500万〜 +164 採用責任者・HRBP(事業部人事)経験
- データ・AIエンジニア 相場(下位帯)360万 即戦力の入口500万〜 +140 データ基盤(BigQuery等)の構築運用
- 経理・財務 相場(下位帯)350万 即戦力の入口400万〜 +50 連結決算・IPO準備の経験
- 法務・コンプライアンス 相場(下位帯)400万 即戦力の入口500万〜 +100 企業法務5年・M&Aや知財の専門性
- プロダクトマネージャー(PdM) 相場(下位帯)450万 即戦力の入口600万〜 +150 PdM責任者・KPI設計の経験
相場(下位帯の中央値)と、その経験が現れる中位帯の入口額。差が、欲しい経験に市場がつけている値段。
「即戦力が欲しいのに応募が来ない」というとき、相場の額で即戦力を募集している、というミスマッチが起きがちです。欲しい経験を決めた時点で、その経験の値段は相場とは別に決まっています。まず、自社が欲しい経験がどの帯のものかを確かめることが、要件設計の出発点になります。
「即戦力5年以上」と盛るほど、上澄みしか来ない
要件をめぐるもう一つの落とし穴が、要件の盛りすぎです。良い人に来てほしいという思いから、必須要件を厚くするほど、応募できる人の範囲はかえって狭まっていきます。
年収帯別スキルの構造を見ると、その理由がわかります。「経験5年以上」「マネジメント経験」「特定領域の専門性」といった条件は、どれも中位帯から上位帯にかけて現れる要件です。これらを必須に積み上げるほど、応募の対象は上の帯へ移っていきます。上の帯は、そもそも市場にいる人数が少なく、しかも他社との取り合いになる層です。要件を厚くすることは、狭くて競争の激しい層だけに絞り込む行為でもあります。
たとえば「即戦力5年以上、マネジメント経験、英語」と3つ重ねた瞬間、対象は上位帯に絞られ、相場も跳ね上がります。それだけの人材を、相場の提示額で採ろうとすれば、応募は集まりにくくなります。要件を厚くするなら提示も上げる、提示を上げられないなら要件を絞る。この対応関係が崩れているのが、応募が来ない求人の典型です。
要件は「年数」でなく「やったこと」で書く
要件の書き方そのものにも、設計の余地があります。多くの求人票は経験を年数で書きますが、市場が値付けしているのは年数ではなく、経験の種類でした。
年収帯別スキルの中位帯の条件を見ると、そこにあるのは「3年以上」ではなく、「SaaSを開発した」「連結決算をやった」「IPOを経験した」「クラウドを設計・運用した」といった、何をやったかです。同じ5年の経験でも、受託開発を5年やった人と、自社プロダクトのSaaS開発を経験した人では、市場での値段が違います。年数は経験の質を保証しないため、求人票を年数だけで書くと、欲しい層に的確に届きません。
だから要件は、年数ではなく経験の種類で書くほうが、狙った層に届きます。「Web開発経験5年以上」ではなく「SaaS・自社プロダクトの開発経験」、「経理経験3年以上」ではなく「連結決算またはIPO準備の実務」。こう書くことで、その経験を持つ人に響き、持たない人には過剰なハードルにならず、応募の質と量の両方が整いやすくなります。
必須を1つ減らすと、母数が跳ねる
要件設計は、そのまま予算と母数の設計です。ここを意識すると、年収を動かさずに応募を増やす余地が見えてきます。
年収帯別スキルには、必須(must)と歓迎(あれば尚可)の区別があります。応募が集まらないとき、歓迎に置くべき条件を必須にしてしまっているケースが多くあります。「英語ができれば尚可」を「英語必須」にした瞬間、対象は大きく狭まります。逆に、必須を1つ歓迎に落とすだけで、対象となる帯が下がり、応募できる層が広がり、必要な提示額も下がります。
採用担当者にとって現実的なのは、まず「絶対に外せない経験」だけを必須に残し、それ以外を歓迎に移すことです。全部を必須にした求人は、対象が最も狭く、最も高くつきます。要件を1つ動かすことは、提示額を数十万円動かすのと同じ効果を持つ、と考えておくと設計しやすくなります。
未経験を育てる職種/即戦力を買うしかない職種
要件の最後に、育成という選択肢の適性を見ておきます。「安く採って育てる」が効く職種と、構造的に効かない職種があります。
年収帯別スキルの下位帯の要件を比べると、その差がはっきりします。一般事務は「実務1〜2年、Excel・Word基礎」、コールセンターは「電話・メール対応1〜2年」、インサイドセールスは「営業・カスタマー対応1〜2年」と、下位帯の入口が軽く、未経験に近い層からでも採って育てられます。一方、Webエンジニアは下位帯でも「Web開発の実務1〜3年」、法務は「法務実務2〜3年」と、入口の時点で実務経験が必須です。エンジニアや専門職は、完全な未経験からの育成が構造的に難しい領域です。
だから、育成前提で採るなら事務・コールセンター・インサイドセールスのような入口の軽い職種、即戦力を買うしかないならエンジニアや専門職、という見極めが要ります。すべての職種で「安く採って育てる」が成り立つわけではありません。職種の入口の重さを知ることが、育成採用の可否を分けます。
2設計② 働き方:「どんな条件で募集するか」
2つめの設計軸は、認める働き方です。出社を求めるか、リモートを認めるかは、単なる制度ではなく、相場と応募の集まりやすさを動かす条件でした。同じ職種でも働き方で相場が変わること、出社を必須にする隠れたコスト、リモート化の職種ごとの損得を、順に見ていきます。
働き方は「待遇の一部」。同じ職種でも相場が動く
求人データは働き方を4つに分けられます。出社中心、近隣ハイブリッド、近距離都市への通勤ハイブリッド、フルリモートです。東京23区のWebエンジニアで見ると、同じ職種でも、働き方の設定で80万円の幅があります。
- 出社中心 500万
- 近隣ハイブリッド 500万
- 近距離都市への通勤 450万
- フルリモート 420万
同じWebエンジニアでも、認める働き方で80万円動く。
しかも、その方向は職種で違います。データ・AIエンジニアは出社600万円に対しフルリモート420万円と出社が高く、一般事務は逆に出社276万円に対しフルリモート336万円とリモートのほうが高い。営業も同様で、法人営業は近隣ハイブリッド480万円が最も高く、近距離通勤371万円・フルリモート360万円と下がっていきます。カスタマーサクセスは出社・近隣ハイブリッドが500万円で、フルリモート420万円より高い。働き方は、職種ごとに相場を上下させる、待遇の一部として設計できます。同じ額を出すつもりでも、認める働き方を決めた時点で、狙える相場帯は動いています。
出社を必須にすると、見えない上乗せコスト
専門性の高い職種では、出社を前提にした求人ほど、相場が高くなる傾向があります。データ・AIエンジニアを東京23区で見ると、出社中心の求人が600万円、フルリモートが420万円で、その差は180万円あります。出社前提の求人が、都心の高単価な案件と重なりやすいためです。Webエンジニアでも、東京23区で出社500万円に対し近距離通勤450万円と、通勤の幅を認めるだけで50万円下がります。全国で見ても、専門職は出社のほうが相場が高い傾向は変わりません。
もちろん、出社には出社の価値があります。ただ、出社を必須にすることには、相場が上がり母数が狭まるという見えないコストが伴う、という前提は持っておくべきです。「なぜこの職種は出社でなければならないのか」を要件と同じ精度で問い直すと、年収を上げずに採る余地が見えてきます。
「リモートで全国から採れる」の損得は職種で逆
一方で、フルリモートにすれば全国から採れる、という発想にも落とし穴があります。リモート化の損得は、職種によって正反対でした。
事務のような、オンラインで完結し全国で採用が進む職種は、フルリモートにすると相場が上がります。一般事務は、東京23区で見ると出社276万円に対しフルリモート336万円で、リモートのほうが60万円高い。しかも一般事務では、市場に出ている求人の数も、出社1143件に対しフルリモート1382件と、リモート求人のほうが厚い。この層はリモート化が候補集めの面でも有利に働きます。一方、Webエンジニアや社内SE、カスタマーサクセスのような専門職は逆で、フルリモートにすると相場は下がります。カスタマーサクセスは、東京23区でリモート求人の数自体も出社2272件に対しフルリモート678件と少なく、むしろ出社中心の市場のほうが厚い。同じリモート化でも、事務のように候補が増える職種と、専門職のように出社の市場のほうが厚い職種があります。
つまり「リモートにすれば全国から採れる」は、職種によっては相場を上げ、職種によっては母数を減らします。安易に全職種をリモートにするのではなく、自社の職種でリモートが相場と母数にどう効くかを見てから決めることが要ります。
3設計③ エリア:「どこで採るか」
3つめの設計軸は、募集するエリアです。フルリモートまで踏み込まなくても、募集する範囲しだいで、狙える相場と、その職種の求人がどれだけ集まるエリアかが変わります。通勤圏の引き方と、職種による地方の求人の厚みの違いを見ていきます。
通勤圏を30分広げると、相場と選択肢が変わる
拠点のあるエリアの相場が高い場合、通勤圏を少し広げるだけで様相が変わります。たとえば大阪市を拠点にWebエンジニアを募集する場合、大阪市の相場が約450万円なのに対し、近隣を見ると、豊中は片道約25分で相場432万円・求人4930件、堺は片道約30分で相場360万円・求人3924件。通勤圏の内側でも、エリアによって相場に約70万円の差があり、その職種の求人も数千件単位で出ています。拠点エリアだけで母数が足りない、相場が高いと感じたら、通勤圏の近隣を採用エリアに含めることで、母数と相場の選択肢が広がります。
これは、一部の出社を認めつつ通える範囲を広げる設計であり、フルリモートとは別物です。全面リモートに踏み切る前に、まず通勤圏の引き直しで解決できる場合が少なくありません。
専門・責任者職は、地方に「そもそも母数がない」
エリアの設計で、もう一つ知っておきたいのが、職種によって地方の求人の厚みが大きく違うことです。
事務や一般的なエンジニアは、地方でも一定の母数があります。Webエンジニアは東京23区の求人3398件に対し、地方エリアでも中央値で1000件前後、一般事務にいたっては地方でも東京とほぼ同水準の母数があります。ところが、専門性や責任の重い職種は事情が違います。プロダクトマネージャーは東京23区の求人2051件に対し、地方エリアは中央値で150件ほどと、およそ13分の1。法務も東京1524件に対し地方350件前後です。こうした職種は、地方ではその職種の求人自体が少なく、通常の募集では候補が集まりにくくなります。
だから、専門職や責任者クラスを地方拠点で採ろうとするなら、通常募集だけに頼るのは現実的ではありません。スカウトで直接声をかける、フルリモートで全国を対象にする、都市拠点を採用の窓口にする、といった設計が最初から必要になります。「地方だから採れない」のではなく、「その職種は地方に母数がないから、採り方を変える」というのが正確な理解です。
まとめ:採用は、額の前に3つの設計がある
- ・採用は年収の額だけで決まりません。求人票の「要件・働き方・エリア」の設計しだいで、集まる人の数もレベルも変わります
- ・要件:欲しい経験には相場とは別の値段がついています。要件を盛るほど上澄みしか来ず、年数でなく経験の種類で書くと狙った層に届きます。必須を1つ減らすだけで母数は広がります
- ・働き方:出社・ハイブリッド・通勤・フルリモートは、相場と母数を動かす待遇の一部です。出社を必須にすると見えない上乗せになり、リモート化の損得は職種で逆になります
- ・エリア:通勤圏を広げるだけで相場と母数が変わります。専門・責任者職は地方に母数がなく、採り方そのものを変える必要があります
年収を上げられる場面は、実際には多くありません。だからこそ、額の手前にあるこの3つの設計を先に整えることが、採用の勝ち筋になります。求人票を出す前に、要件・働き方・エリアを相場から見直す。それが、同じ予算で採用の成否を分けます。
この記事で使ったデータ
この記事で扱った職種の採用相場・競合・働き方の選択肢を職種ごとに確認できます。年収帯別スキル(必須・歓迎)、働き方別・エリア別の相場、近隣エリアの相場と求人数は、47都道府県・171エリアで確認できます。
※ 集計仕様:本稿の「相場」は公開求人の提示給与中央値(月給×12)です。在職者の実年収(e-Stat 賃金構造基本統計、賞与込み)とは集計仕様が異なります。集計の詳細は運営・集計方針をご覧ください。
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