グローススタジオレポート

地方企業の成長事例

200年の鎚起銅器が「燕三条工場の祭典」と海外百貨店で築いた地方発工芸ブランド

新潟・燕の200年銅器メーカーが「燕三条工場の祭典」と海外百貨店展開で築いた、地方発工芸×グローバルブランドの代表事例

企業概要(公開情報)

企業名
株式会社玉川堂
所在地
新潟県燕市中央通
代表者
玉川基行(7代目当主)
設立
1816年
業種
鎚起銅器製造業/工芸D2C
従業員数
職人21名+販売・管理14名前後
本記事の公開情報
2026-05-18 公開 / 出典 16本 / 本文約5,500字

今回取り上げるのは、新潟県燕市中央通の株式会社玉川堂(ぎょくせんどう)です。1816年(文化13年)、初代玉川覚兵衛が燕の地で創業し、1枚の銅板を鎚で叩き起こして器をつくる「鎚起銅器」の技術を国内で唯一、約210年にわたって継承してきた老舗工房です。現在は7代目当主・玉川基行氏が代表取締役を務め、職人21名前後を中心とする小規模な組織でありながら、ニューヨーク・パリ・香港などの海外市場や、GINZA SIX・西麻布の直営店、LVMHグループのシャンパン「KRUG」とのコラボレーションといった「ラグジュアリーブランド型」の流通設計を実装しています。

本稿は、玉川堂公式サイト、Wikipedia、NESTBOWLインタビュー、田辺コンサルティング研究会レポート、CJPF(クールジャパン官民連携プラットフォーム)モデルケース、三井ゴールデン匠賞、中川政七商店「読みもの」、nippon.com、KOGEI STANDARD、日経クロステック・日経クロストレンド「燕三条 工場の祭典」関連記事、燕三条 工場の祭典実行委員会・KOUBA公式発表、新潟県観光協会、新潟文化物語、JR東日本「TRAIN SUITE 四季島」連載、三井広報委員会「匠を訪ねて」、玉川基行氏のプロフィール公開資料などをもとに、以下4点を整理します。

  1. 創業以来の鎚起銅器の歴史──仙台の渡り職人から200年の継承へ
  2. 7代目玉川基行氏のリブランディング──問屋依存からの脱却と「直営店ファースト」
  3. 「燕三条 工場の祭典」の発起と地域連動──地域全体をブランド資源に変える
  4. 海外展開とラグジュアリー文脈との接続──KRUG、GINZA SIX、笄 KOGAI

1. 創業以来の鎚起銅器の歴史──仙台の渡り職人から始まった「打つ」200年

玉川堂のルーツは、燕という土地そのものの産業史と深く重なっています。Wikipediaおよび玉川堂公式「歴史」によれば、燕の鎚起銅器は明和年間(1764-72年)、仙台から渡ってきた職人・藤七が鎚起の技を伝えたところから始まりました。背景には、弥彦山の間瀬銅山から良質な銅が供給されていたこと、そして燕に和釘・銅細工の素地があったことの2つがあります。地場の鉱物資源と職人技が、外から来た「渡り職人」によって新しい用途へ接続される──地方産業の典型的な生成パターンが、ここに見えます。

1816年(文化13年)、当時17歳の初代玉川覚兵衛が、玉川家でそれまで営んでいた銅細工製作から鎚起銅器製作へと業態を移し、鍋・釜・薬鑵といった日常雑器を打ち始めました。これが玉川堂の創業であり、以後7代にわたって「1枚の銅板を鎚で叩き起こして器をつくる」という一点に技術を絞り込み続けます。

明治期に入ると、玉川堂は早い段階で海外と接点を持っています。玉川堂公式「歴史」によれば、1873年(明治6年)、日本が初めて公式参加したウィーン万国博覧会に出品し、燕の鎚起銅器を世界に紹介しました。1893年(明治26年)にはシカゴで開かれた世界コロンビア博覧会で受賞し、翌1894年には明治天皇の御成婚25周年奉祝に一輪花瓶を献上したと記録されています。明治期の万博出展と皇室献上という2軸は、後の「海外×ラグジュアリー」のブランディング設計の遠い助走と読むこともできます。

戦後の文化財制度の枠組みのなかでも、玉川堂は早い段階から位置づけが固まっていきました。

  • 1958年(昭和33年):新潟県より「新潟県指定無形文化財」に指定
  • 1980年(昭和55年):文化庁より「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択
  • 1981年(昭和56年):通商産業大臣(当時)により「燕鎚起銅器」が伝統的工芸品に指定
  • 2008年:玉川堂の店舗・土蔵・鍛金場・雁木が国の登録有形文化財(建造物)に登録
  • 2010年:玉川宣夫氏(5代目玉川覚平の次男)が重要無形文化財「鍛金」保持者(人間国宝)に認定。燕三条地域では初の人間国宝で、新潟県では5人目(玉川堂公式コラム、三越伊勢丹オンライン「人間国宝を訪ねて」、日本工芸会「わざを伝える」)

「無形文化財としての制度的評価」と「ものづくりの場としての建築的評価」、そして「人間国宝という個人の技の評価」の3つが、200年の助走のなかで重ねられている──これが、7代目玉川基行氏がリブランディングに踏み込むときの土台になりました。


2. 7代目玉川基行氏のリブランディング──「変わらないために、変わり続ける」

大学卒業後の家業入りと、バブル崩壊後の窮地

NESTBOWLインタビュー(「変わらないために、変わり続ける」)と三井広報委員会「匠を訪ねて」、jsce-niigata.com公開のプロフィール資料によれば、玉川基行氏は1970年、新潟県燕市生まれ。大学卒業後はもともと商社志望でしたが、当時の玉川堂はバブル崩壊後の打撃を受けて多額の負債を抱える状態にあり、父からの要請を受けて1995年に玉川堂へ入社しました。その後、2003年に代表取締役・玉川堂7代目に就任しています。

「家業を継ぐ前提で育てられたわけではない後継者が、家業の窮地で呼び戻される」──地方の老舗で繰り返し起こるパターンですが、玉川基行氏の場合、家業に戻った時点で「鎚起銅器という技術は世界に通用するのに、流通と経営が時代に合っていない」という認識を、外側の視点から持っていた点が大きい意味を持ちます。

NESTBOWLでの本人発言として紹介されている経営哲学が、「変わらないために、変わり続ける」です。

変わらないために、変わり続ける ── NESTBOWL「200年の伝統を未来に繋いでいくための『変わり続ける』経営と、伝統工芸への想い」(玉川基行氏インタビュー)

ここでの「変わらないもの」とは、1枚の銅板を鎚で叩き起こすという伝統技術そのもの。「変わり続けるもの」とは、経営・流通・組織です。技術を世代を超えて残すために、その周辺のすべてを更新し続ける、という整理になります。

流通改革──問屋依存から「直営店ファースト」へ

玉川基行氏のリブランディングで最も大胆な意思決定が、問屋・百貨店依存からの脱却でした。田辺コンサルティング「200年企業のリ・ブランディングד燕三条”地域ブランディング」、NESTBOWLインタビュー、ブレーン2018年「三井ゴールデン匠賞」受賞記事などが、共通してこの点を玉川堂の核心として整理しています。

判断の核は、ブランド価値の帰属先に関する考え方です。百貨店経由で売る場合、お客様は「その百貨店の信頼」を起点に購入を決めます。これは短期的な売上には貢献しますが、玉川堂というブランドへの愛着は深まりにくい。直営店であれば、来店から接客、購入後の手入れの案内まで、すべて玉川堂の文脈で完結します。お客様との距離が近くなり、玉川堂のブランドそのものへの信頼が積み上がっていく。

ブランドを大切にするためには、お客様との関係性を玉川堂が直接持つ必要がある ── 田辺コンサルティング研究会レポート「200年企業のリ・ブランディングד燕三条”地域ブランディング」(玉川基行氏講演内容より)

実装としては、問屋との関係を見直し、百貨店との取引も「直接取引」に切り替え、さらに直営店舗の整備を進めました(ブレーン2018年・三井ゴールデン匠賞関連記事)。第三者評価としても、2017年度(第2回)「三井ゴールデン匠賞」で「モストポピュラー賞」を受賞しており、評価理由のなかに「問屋との関係を見直し、百貨店との直接取引や直営店舗設立といった流通機構改革への実績」が明示されています(三井広報委員会、PR TIMES 2018年「第2回 三井ゴールデン匠賞 受賞者決定」、日刊工業新聞)。

この流通改革は、能作(富山)の「下請けからメーカーへ」、黒龍酒造(福井)の「特約店絞り込みによる品質本位の流通づくり」と並べると、地方老舗の代替わり経営における共通テーマとして読めます。3社に共通するのは、「先代が築いた取引網を一度棚卸しし、ブランド価値が劣化しない流通だけを残す」という意思決定です。

職人の組織改革──女性職人の採用と、職人と営業の垣根を外す

NESTBOWLインタビューによれば、玉川堂は約7年前(2010年代後半)、200年の歴史で初めて女性職人を雇用しました。当初は社内外で「女性に鎚起は難しい」という反応もあったといいますが、玉川基行氏は「伝統工芸の経営において、これまでの常識を疑うこと」を重視しました。2026年時点の公開情報(新潟県観光協会、つばめ産学協創スクエア、Wikipediaなど)では、職人21名のうち7名が女性。女性職人の感性から生まれたヒット商品もあると本人が紹介しています。

もう1つ、玉川堂の組織で特徴的なのが「職人と営業の垣根を外す」運用です。直営店では、職人自身が接客に立ち、お客様と直接対話する場面が組み込まれています。職人は注文の現場で「お客様が何を望んでいるか」を直接受け取り、企画にも参加する。営業は鎚起の現場を知ったうえで顧客に向き合う。技術部門と販売部門の境界をあえてぼかすことで、ブランドが「打つ人」と「売る人」のあいだで分裂しないようにする工夫です(NESTBOWL、田辺コンサルティング)。


3. 「燕三条 工場の祭典」の発起と地域連動──地域全体をブランド資源に変える

2013年、第1回開催──地元主導の「KOUBA」を観光資源化する

玉川堂のリブランディングを「地域全体への接続」という観点で象徴するのが、2013年に始まった「燕三条 工場の祭典」です。

日経クロステック「地元にこんな工場があったのか、10回目迎える『燕三条 工場の祭典』」、日経クロストレンド「『燕三条 工場の祭典』累計27万人来場の盛り上がりを事業につなぐ」、燕市公報・三条市公式、KOUBA公式サイトなどの取材によれば、第1回は2013年10月に開催され、地域の54社が参加、来場者は約1万人。きっかけのひとつは三条市主催の経営力向上人材育成塾で、「工場を開いてその姿を見てもらいたい」という地元経営者たちの問題意識と、第3回のプロデューサーとして声がかかったメソッド・山田遊氏の「コト消費としてイベントをパッケージ化する」発想が合流して立ち上がっています。

玉川堂は第1回から参加事業者の中核として関わってきました。KOUBA公式「燕三条 工場の祭典」アーカイブには、玉川堂が毎年「KOUBA」(工場)として公開され、鎚起銅器の打ち音を聞ける現場体験を提供してきたことが記録されています。中川政七商店の「読みもの」(産業観光特集)も、「燕三条 工場の祭典」を「産地全体を一枚絵にして開く産業観光イベント」の代表例として取り上げ、玉川堂の燕本店をハブの1つに位置づけて紹介しています。

来場者数の推移──地域全体のブランド資産に育てる

公開情報をもとに、燕三条 工場の祭典の来場者推移を整理すると次のようになります(燕市発行『広報つばめ』2017年9月号、KOUBA公式アーカイブ、日経クロステック・日経クロストレンド、PR TIMES「KOUBA」プレスリリース)。

  • 2013年(第1回):参加54社、来場者約1万人(県外比率38.6%)
  • 2014年:参加68社、来場者約1万9000人
  • 2017年(第5回前後):参加96社(工場78・耕場13・購場5)、来場者約3万5000人
  • 2019年(第7回):参加KOUBA133件、来場者約5万6000人
  • 2013-2022年累計:参加200社以上、累計来場者27万人超
  • 2023年:地元主導の任意団体「KOUBA」運営による初開催、参加87事業所

ここでの設計の妙は、能作(高岡)が「自社工場」を観光資源にしたのに対し、玉川堂は「自社単独」ではなく「燕三条という産地全体」を観光資源として開いた点にあります。玉川堂1社だけを目的に来訪する人は限られても、200社規模の工場が同時に開くなら、「燕三条に行く理由」が生まれる。来場者は数日かけて複数の工場を回り、玉川堂はそのなかで「鎚起銅器の象徴的なKOUBA」として体験される。1社のブランディングと地域のブランディングが、入れ子になって相互に効いていく構造です。

第三者評価としても、KOUBA公式アーカイブが「ものづくりの現場を観光資源化した先進事例」として日経BP・日経クロストレンドなどに継続的に取り上げられ、燕三条 工場の祭典は2020年に「Forbes JAPAN」関連メディアや経済紙でも繰り返し言及されてきました(一次URLは出典セクションに掲載)。

地域連動の3つの効果

燕三条 工場の祭典が玉川堂にもたらした効果は、能作の工場見学が同社にもたらした効果と相似しています。

  1. 顧客体験の最大化:鎚を打つ音、銅板が立ち上がる工程、職人の手元を間近で見られる体験は、直営店や百貨店の売場では再現できない。来訪者は「鎚起銅器とは何か」を体感したうえで、後日改めて購入を検討する。
  2. 採用ブランディング:地方の伝統工芸メーカーがもっとも苦戦する「若手職人・企画系人材」の認知を、地域単位で広げる。玉川堂単独で募集するよりも、「燕三条 工場の祭典」を経由して訪れた人のなかから、その後の応募者・採用者が出るという経路が機能する。
  3. 地域内の事業者ネットワーク:玉川堂は燕三条 工場の祭典を通じて、諏訪田製作所・タダフサ・庖丁工房タダフサなど周辺事業者と日常的に連携する関係を持つようになり、新商品コラボや海外展示会への共同出展の素地が生まれた(KOUBA公式、TJ新潟、にいがた・あいづ ごっつぉLIFE「玉川堂 燕本店 工場見学レポート」など)。

「地方の伝統工芸メーカーが、自社のブランディングと地域全体のブランディングを一致させる」──このアプローチは、ローカルグローススタジオが繰り返し取り上げてきた「地方発・ブランド資産の作り方」の重要な参考事例です。


4. 海外展開とラグジュアリー文脈との接続──KRUG、GINZA SIX、笄 KOGAI

LVMH「KRUG」との共同開発──究極のボトルクーラー

玉川堂のグローバル展開のなかで、もっとも象徴的なのが、LVMHグループのシャンパン「KRUG(クリュッグ)」との共同開発プロジェクトです。玉川堂公式「お知らせ」、KOGEI STANDARD、Fashionsnap(2012年12月「日本の匠によるKRUGボトルクーラー 第2弾は竹籠」)、Restaurant TOYO「饗宴 KRUG × 玉川堂 × Restaurant TOYO」、CJPFモデルケースなどが共通して取り上げています。

KRUGは2011年から「究極のボトルクーラー」プロジェクトを進めており、世界中のクラフトメーカーを候補に検討した末、日本の無形文化財として鎚起銅器を継承する玉川堂をパートナーに選びました。第1弾は2011年に発表された銅製のボトルクーラー、第2弾は2012年に発表された竹籠を組み合わせたモデルです。Assouline社のラグジュアリー本『KRUG by KRUG LOVERS』では、玉川堂7代目・玉川基行氏が登場人物の1人として紹介されています(玉川堂公式「Assouline『KRUG by KRUG LOVERS』玉川堂7代目・玉川基行の紹介」)。

この共同開発が玉川堂にもたらした意味は、単なるOEM (相手先ブランド製造)受注ではありません。LVMHグループという世界最大のラグジュアリーコングロマリットの審美眼が、燕三条の鎚起銅器を「自社のフラッグシップ製品にふさわしい工芸」として選んだ──この事実が、海外のラグジュアリー文脈に玉川堂を接続するパスポートになりました。CJPFはこのプロジェクトを「200年の鎚起銅器を世界的ブランドへと転換させた7代目の取り組み」のモデルケースとして取り上げています。

なお、玉川基行氏は2003年の社長就任以降、フランクフルト(アンビエンテ)やパリ(メゾン・エ・オブジェ)など海外見本市にも継続出展し、海外販路開拓に努めてきたと公開資料・三井広報委員会「匠を訪ねて」で紹介されています。世界主要都市の高級レストラン・バー・百貨店で玉川堂製品が扱われる体制を、地道に整備してきた経緯があります。

GINZA SIX出店──ラグジュアリー商業施設で「直営店ファースト」を完成させる

国内では、2017年4月のGINZA SIX開業に合わせ、玉川堂は4階に銀座店を出店しました(GINZA SIX公式、玉川堂公式「銀座店」、日本茶生活)。設計は、店舗内装に使用された400枚の銅板すべてを玉川堂チーム自身が鎚で打って製作したと紹介されており、「店内装そのものが鎚起銅器の作品」になっています。

これは、流通改革のなかで「直営店ファースト」を掲げてきた玉川基行氏の戦略が、もっとも先鋭的な形で具現化した拠点と言えます。GINZA SIXという日本を代表するラグジュアリー商業施設に出店すること自体が、玉川堂のブランドポジションを「工芸品店」ではなく「日本発のラグジュアリーブランド」へとずらす効果を持ちました。

笄 KOGAI──西麻布の新店舗と、工芸セレクトの拡張

2024年3月10日、玉川堂は東京・西麻布に新店舗「玉川堂 笄 KOGAI」をオープンしました(玉川堂公式プレスリリース、KOGEI STANDARD「鎚起銅器の玉川堂が工芸品のセレクトショップ『玉川堂 笄 KOGAI』をオープン」、Pen Online「1816年創業、伝統工芸職人による生活の品『玉川堂』が西麻布にオープン」)。

笄 KOGAIは、燕本店・GINZA SIX店に続く玉川堂の3つ目の路面店で、同社の鎚起銅器に加え、木工・染織・漆器・陶磁器・ガラス・金工など12の作家とメーカーの工芸品を扱うセレクトショップです。店名「笄(こうがい)」は、出店地である西麻布の旧町名であり、かつてその地で金工師が制作していた女性の髪飾りの名でもあります。

笄 KOGAIで重要なのは、玉川堂が「自社製品の販売店」を超えて、「工芸を編集して提案する場」へと事業範囲を広げた点です。中川政七商店(奈良)が「鹿猿狐ビルヂング」で他社飲食・共同オフィスを含む街区型の拠点を作ったのと同じ系譜で、玉川堂は西麻布という土地と工芸全体の文脈を編み直す装置として笄 KOGAIを設計しています。1社の商品から、業界全体の文脈づくりへ──老舗工芸メーカーの「先輩格としてのブランド」の取り方が、ここに見えます。

鉄道と工芸──TRAIN SUITE 四季島への採用

もうひとつの象徴的な接点が、JR東日本のクルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」です。JR東日本公式「四季島を支える想い」Vol.8では、玉川堂7代目・玉川基行氏が登場し、四季島の車内で使われる玉川堂の製品が紹介されています。日本各地を巡るラグジュアリー鉄道のなかで、燕三条の鎚起銅器が「日本のラグジュアリーを象徴する素材」として組み込まれている──ここにも、海外ラグジュアリー文脈と国内の高付加価値文脈を結ぶ玉川堂の位置取りが表れています。


5. 編集視点:200年工芸メーカーが取った「変わり続ける」作法

玉川堂の事例から取り出せる学びを、ローカルグローススタジオ的に整理すると次のようになります。

  1. 技術の不変は、経営の可変によって守られる
    「変わらないために、変わり続ける」というフレーズは、技術と経営を切り分けて考えるための言語化です。鎚起という1点に技術を絞り込んだ200年は、その周辺の流通・組織・販路を継続的に更新してきた200年でもありました。技術を残したいなら、技術の周りをすべて作り直す覚悟がいる──これは、地方の伝統産業全体に通じる学びです。

  2. 流通の主導権を取り戻すと、ブランドの主導権も戻ってくる
    問屋・百貨店依存から「直営店ファースト」への切り替えは、短期的には売上の縮小を伴う痛みのある意思決定です。しかし、お客様との関係性を自社が直接持つ流通だけを残すと、ブランド価値の帰属先が自社に戻り、結果として価格設定・商品設計・採用までの自由度が一気に上がります。能作(富山)の下請けからメーカーへの転換、黒龍酒造(福井)の特約店絞り込みと並べて読みたい意思決定です。

  3. 自社のブランディングと地域のブランディングを入れ子にする
    「燕三条 工場の祭典」は、玉川堂1社で来訪を促す施策ではなく、産地全体を観光資源にするための器でした。玉川堂は地域の中核として参加することで、自社単独では届かない来訪者層と接触し、地域とブランドの両方を同時に育てています。地方企業のブランディング投資は、自社の販促費だけではなく、地域のプラットフォームへの拠出として設計すべき場面が多いはずです。

  4. 海外ラグジュアリーとの接続点を、1社の力ではなく文脈で作る
    KRUG・LVMHとの共同開発、メゾン・エ・オブジェ等の海外見本市、GINZA SIXや西麻布での直営店、TRAIN SUITE 四季島での採用──これらは個別の案件ではなく、「燕三条の鎚起銅器をラグジュアリー文脈に置く」という1本のストーリーで貫かれています。地方の工芸メーカーが海外進出するときに必要なのは、輸出窓口の整備よりも先に、「どの文脈に自社を置きたいか」の言語化です。

  5. 職人を売場に、売場の人を工房に──境界をぼかす組織運用
    職人と営業の垣根を外し、女性職人を採用するという2つの組織改革は、玉川堂のブランドを「打つ人」と「売る人」のあいだで分裂させないための布石でした。地方の伝統工芸メーカーの後継者にとって、最初に手を入れるべきは商品ラインではなく、社内の役割境界かもしれません。


本事例から見える経営とマーケティングの学び

玉川堂の物語は、200年の伝統工芸メーカーが「下請け・問屋依存」「地方の販路の固さ」「グローバル文脈とのつながりの薄さ」という3つの宿題を、7代目への代替わりを起点に同時に解いていった事例として読めます。重要なのは、玉川基行氏が「鎚起という技術はそのまま、それ以外をすべて作り直す」という整理を最初に行い、流通・店舗・地域連動・海外発信を1本の線で接続させたことです。地方企業の成長は、新しい商品を投入することではなく、自社が立っている場所を取り囲む文脈を作り直す作業から始まります。ブランドやリソースが薄い状態から成長を作る経営者にとって、玉川堂の歩みは「何を残し、何を変えるか」を考えるための学びになります。


関連:ローカルグローススタジオ・グロースマガジン

本事例の学びと共通する、グロースマガジン(https://lgstudio.jp/magazine/)の解説記事を2本紹介します。

1. 地方企業/スタートアップに共通する、低リソース・ブランド無しの戦わない戦略

共通点: 玉川堂は燕の量産系金属加工メーカーと正面から価格・量で戦わず、「鎚起銅器という1点の技術」と「ラグジュアリー文脈」に絞って勝負する戦わない戦略を取りました。本記事が示す「低リソース・ブランド無しの地方企業が取れる戦略」の核心──正面突破ではなく、競合の少ない文脈に自社を置き直す──は、玉川堂の流通改革・KRUG共同開発・GINZA SIX出店という個別施策を、ひとつの戦略として読み解く補助線になります。

2. 地方企業と、スタートアップの類似点と相違点

共通点: 200年の老舗工芸メーカーが、海外ラグジュアリーグループ(LVMH/KRUG)と組み、ラグジュアリー商業施設や海外見本市を経由してグローバル市場に到達した軌跡は、本記事が整理する「地方企業がスタートアップから取り込める作法(小さく仕掛けて、評価が高い場所に資源を集中する)」の好例です。玉川堂が地域単独で大きくなったのではなく、地域プラットフォーム(工場の祭典)と海外プラットフォーム(KRUG・メゾン・エ・オブジェ)の双方を使い分けた構造は、本記事の整理と直接対応します。


出典


※本稿は2026年5月18日時点の公開取材記事と公式発表を基に構成しています。固有名詞・数値は引用元の表記に従いました。記載に誤りがあった場合は、お問い合わせフォームよりご指摘ください。

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