グローススタジオレポート

地方企業の成長事例

富士通営業マンから戻った13代目が描いた「日本の工芸を元気にする」SPAと業界再設計

株式会社中川政七商店 / 奈良県奈良市 / 工芸 SPA / 卸 + 直営 + コンサル / 1716年創業

公開日: 2026-05-16 / 出典 18本 / 本文約5,500字

ビジョン「日本の工芸を元気にする!」を SPA+業界コンサルで実装し、奈良の創業地を観光×直販の街区へ再設計した地方企業の成長事例

今回取り上げるのは、奈良県奈良市で1716年(享保元年)に創業した株式会社中川政七商店です。300年以上にわたり奈良晒(ならざらし)という麻織物を扱ってきた老舗が、富士通から戻った13代目・中川淳氏(後の十三代中川政七)によってブランド・SPA企業へと姿を変え、2024年2月期で売上高86億8000万円、従業員600名前後、直営店約60店舗の規模に達したことが各取材で報じられています。

本稿は、日経ビジネス、日経BP「PPPまちづくり」、TKC「戦略経営者」、グリーンズ、BNL(Eightメディア)、PRESIDENT WOMAN、note「ほんのひととき」、経済産業省 METI Journal、ポーター賞、テレビ東京「カンブリア宮殿」、中川政七商店「読みもの」などの公開取材記事と公式発表をもとに、以下3点を整理します。

  1. 代替わりの前夜──富士通営業マンから戻った13代目が見た「家業」の輪郭
  2. 何を変えたか──SPAの確立、ビジョン「日本の工芸を元気にする!」、そして業界へのコンサルティング
  3. 創業家外への代替わり──14代目・千石あや氏と「302年目のチームワーク」

1. 代替わりの前夜──「甘く見ていた家業の重み」

中川淳氏(1974年、奈良県生まれ)は、京都大学法学部を卒業後、2000年に富士通に新卒入社し、法人営業として2年間を過ごしました。家業に戻ったのは2002年。当時の中川政七商店は、奈良晒を起源とする300年近い歴史を持ちながらも、麻小物の自社ブランド「遊 中川」(1985年立ち上げ)の売上はまだ小さく、業績全体は卸が約85%、直営店は約15%という構造でした(中川政七商店「読みもの」、TKC「戦略経営者」2012年4月号、ポーター賞2015年度受賞レポート)。

日経ビジネス2019年連載「中川政七商店・中川政七会長」では、中川淳氏自身が当時の家業について率直に語っています。

甘く見ていた「家業」の重み ── 日経ビジネス「中川政七商店・中川政七会長」(2019年連載タイトル)

入社直後に任されたのは、生活雑貨事業(「遊 中川」を含む)の立て直しでした。グリーンズ(2014年3月)やTKC「戦略経営者」(2012年4月)の取材によれば、中川淳氏は赤字だった生活雑貨事業をおよそ2年で黒字化させています。家業の数字を回復させていく過程で、卸先の一部に売上の2割を占める取引先があり、その取引先が倒れれば連鎖倒産しかねないという、中堅企業に典型的な構造リスクを認識したと語っています(中川政七商店「読みもの」2018年、note「ほんのひととき」2024年連載「わたしの20代」)。

もう1つ、若い後継者の視界を変えたのは、家業ではなく業界そのものの衰退でした。グリーンズ(2014年)やWORKSIGHT「組織が倒れない、ぎりぎりのスピードを見極める」(2020年)の取材では、廃業の挨拶に来る職人や工房が後を絶たない状況に直面し、「このままでは日本の工芸そのものがつくり続けられなくなる」という危機感が、後の経営判断の土台になったと振り返っています。

地方企業の成長場面で「業界全体の縮小」が前提条件になっているケースは、奈良の工芸に限らず、繊維、瀬戸物、家具、和紙など全国の産地で共通しています。中川政七商店の物語は、その典型的な構造を、家業の内側から見た記録としても読めます。


2. SPAの確立と「日本の工芸を元気にする!」──ビジョンが業態を変えた

中川淳氏が経営に踏み込んでから本格化したのが、SPA(製造小売)業態の確立です。ポーター賞2015年度受賞レポートと中川政七商店「成り立ち」によれば、同社は2003年から直営店出店を強化し、2006年には表参道ヒルズに出店、ブランド「粋更kisara」を発表しました。麻という単一素材の小物ブランド「遊 中川」を起点に、工芸品全般を扱う複合ブランド「中川政七商店」を2008年に立ち上げる、という順序です。

2008年、中川淳氏は13代代表取締役社長に就任します(中川政七商店「会社概要」、Wikipedia、BNL記事ほか)。社長就任の前年にあたる2007年、同社は「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げました。経済産業省 METI Journal ONLINE(2022年公開)や日立 Executive Foresight Online「日本の工芸を元気にする!」の取材記事では、このビジョンが「工芸関連業者が経済的に自立し、ものづくりに誇りを取り戻すこと」を指す表現として紹介されています( 本稿の発言要旨は複数の取材記事の要約をもとに再構成しており、原文表現は公開前に最終確認の余地があります)。

このビジョンは、後の事業構造を決定づけました。同じく経産省 METI Journal ONLINE と日立 Executive Foresight Online「日本の工芸を元気にする!」の取材によれば、中川政七商店は次の3つの事業をビジョンの直接の実装として位置づけています。

  1. 中川政七商店・遊 中川・粋更kisaraなど自社ブランドの企画から直営店販売までを内製化したSPA事業
  2. 全国の工芸メーカーへの経営コンサルティング事業(2009年開始、累計50社超の支援実績がプレジデント2020年などで報じられている)
  3. 工芸メーカー向け合同展示会「大日本市」(年複数回開催)と、コンサル先メーカーの販路接続

第3者評価としては、2015年度の「ポーター賞」(一橋大学・伊藤レポート系の表彰)を受賞しています。ポーター賞の受賞レポートには、次の評価が記されています。

工芸品の製造から小売りまで一貫して展開し、他の工芸品メーカーと共に発展する事業を構築している ── ポーター賞2015年度受賞企業レポート「株式会社中川政七商店」

ここでの代替わり経営者の気づきは、能作(富山)の事例と並べると鮮やかに浮かびます。能作克治氏が「下請けからメーカーへ」の転換を行ったのに対し、中川淳氏は「卸中心の老舗から、SPA(直販)とコンサルを組み合わせた業界の取りまとめ役」へとビジネスモデルを移しました。前者は素材の使い道を、後者は販売チャネルの主導権を、それぞれ自社で決められるようにしたことになります。

業績は、2002年入社時に約4億円規模だった売上が、在籍16年で52億円規模(中川会長・MarkeZine 2024年取材、グリーンズ 2014年取材ほか)、その後さらに2024年2月期で86億8000万円規模(千石社長へのMETI Journal、中川政七商店「読みもの」での言及)へと成長し、店舗数は2024年時点で約60店、従業員数は約600名規模に達しています(同社会社概要、BNL記事、Salesnow企業情報など各種公開情報)。22年で売上は約20倍に成長した計算になります(MarkeZine 2024年取材記事タイトル「22年で売上約20倍の中川政七商店」)。


3. 産業観光と本拠地戦略──奈良に「鹿猿狐ビルヂング」をつくる意味

中川政七商店の事業転換でもう1つ象徴的なのが、2021年4月に開業した「鹿猿狐(しかさるきつね)ビルヂング」です。中川政七商店の創業の地に隣接する奈良市元林院町、ならまちエリアに建つこの複合商業施設は、建築家・内藤廣氏の設計で、地上3階建て。施設名は入居3社のシンボル──中川政七商店の「鹿」、猿田彦珈琲の「猿」、料理屋「㋚(鹿のマーク)」を含む3者のうち「きつね」──の頭文字に由来します(中川政七商店プレスリリース2021年3月、TECTURE MAG 2021年4月、JDN 2021年2月、じゃらんニュース2021年4月など複数取材)。

中川政七商店のプレスリリースによれば、鹿猿狐ビルヂングは同社初の複合商業施設であり、奈良本店、コーヒー店、料理店、共同利用オフィス「JIRIN」(3階)などを併設しています。

中川政七商店初の複合商業施設・まちづくりの拠点 ── 中川政七商店 2021年4月14日プレスリリース/スタッフブログ

事業構造的に重要なのは、これが「観光地に出店する旗艦店」ではなく、「創業地・奈良に観光客を呼ぶ拠点」だという点です。能作の新本社(高岡)が「工場見学」を起点に産業観光を成立させたのに対し、中川政七商店は「本店+他社飲食+共同オフィス」という街区型の構成で、ならまちというエリア全体への送客装置を設計しています。日経BP「新・公民連携最前線」(2014年取材)の段階で、中川淳氏は奈良という地域を含めた「産業観光」の構想を語っていました。

ビジョン「日本の工芸を元気にする!」は、商品ブランドだけではなく、創業地そのものの再設計までを射程に入れている──このことは、地方企業が「マーケティング」を発信領域ではなく拠点設計の領域で考えるための、わかりやすい参考になります。


4. 「ビジョンと利益は51対49」──意思決定の優先順位を言語化する

中川淳氏の経営スタイルとして取材で繰り返し登場するのが、「ビジョンと利益は51対49」というフレーズです(オルタナ「ビジョンと利益は51対49、中川政七商店の経営哲学」2023年、ICC「日本の工芸をアップデートする中川政七商店の取り組み」2024年、SUPER CEO「日本の工芸品を蘇らせる」中川政七インタビューほか)。

このフレーズは、能作克治氏の「営業しない、口を出さない、気にしない」と並べると、別の角度から代替わり経営の核心を切り取っています。中川淳氏は、ビジョンと利益のどちらか一方だけでは持続しないという前提のうえで、意思決定の重みづけを「51対49」と言語化しました。利益をすべて犠牲にしてビジョンだけを追うのではなく、しかし最後の1ポイントはビジョン側に置く、という整理です。

ビジョン51:利益49で意思決定する ── オルタナ「ビジョンと利益は51対49、中川政七商店の経営哲学」(2023年)

地方企業の代替わりでよく起こるのは、先代の「数字最優先」と後継者の「ビジョン優先」のすれ違いです。中川淳氏のフレーズが有効なのは、ビジョン優先を宣言しても、利益49という現実が常に隣にあるという緊張感を組織内で共有できる点にあります。決算と理念を二者択一にしないための、後継者向けの実務的な言葉として読めます。

中川政七商店は、業界特化のコンサルティング、合同展示会「大日本市」、コンサル先の独自性を守るための在庫リスク負担など、短期PLに反する選択をいくつも行ってきました。これらは「51対49」という重みづけが先にあって、はじめて社内で正当化される類いの意思決定です。


5. 創業家以外への代替わり──14代目・千石あや氏と「302年目の挑戦」

2018年3月、中川政七商店はもう1つの代替わりを経験します。中川淳氏が代表取締役会長に退き、千石あや氏が14代目代表取締役社長に就任しました。創業家以外から社長が出るのは、創業以来初のことです(BNL「中川政七商店:名経営者の後を継いだ千石あや、創業302年目の挑戦」2018年10月、PRESIDENT WOMAN「中川政七商店 悩まない現場づくりでV字回復」2024年、note「ほんのひととき」2024年など)。

千石あや氏は1976年、香川県生まれ。大阪芸術大学を卒業後、1999年に大日本印刷に入社し、デザイナーとして勤務しました。2011年に中川政七商店へ転職し、小売、生産管理、コンサル案件アシスタント、社長秘書、ブランドマネジメント室長を経て、入社から約7年で社長に就任しています(経済産業省 METI Journal ONLINE「ビジョンドリブンのチームワークで、日本の工芸を元気にする!」、中川政七商店「読みもの」、note「ほんのひととき」連載)。

注目すべきは、中川淳氏が著書『日本の工芸を元気にする!』や複数のインタビューで、後継者を選んだ「リーダーの3要件」を公開している点です(NewsPicks「中川政七 社長交代、千石あやを選んだ『リーダーの3要件』」2021年)。13代目(中川淳氏)はトップダウン型の経営者、14代目(千石氏)はチームワーク型の経営者、というスタイルの違いが、本人同士の発信と複数の第三者取材で一貫して語られています。

トップダウンから最強のチームワークへ ── 中川政七商店「読みもの」(14代千石社長と中川政七商店302年目の挑戦、2019年)

千石社長就任後の2024年2月期、中川政七商店の売上高は86億8000万円(METI Journal、中川政七商店関係取材)、従業員数は600名前後(同社会社概要・各種企業データベース)に達しています。代替わりは「数字を維持する役割」ではなく、「次の伸びを引き受ける役割」として機能していると言える水準です。

加えて、2016年に中川淳氏自身が「十三代中川政七」を襲名(中川政七商店プレスリリース、Wikipedia)、2018年に千石氏が社長就任、2021年に「鹿猿狐ビルヂング」開業、という時系列は偶然ではありません。13代目が襲名で「名」を継ぎ、14代目が経営の「実」を継ぐ、その双方が完了したタイミングで創業地の再設計を行う──というシーケンスは、地方の老舗中堅企業の代替わりにおいて、極めて意識的な設計の例として参照できます。


6. 編集視点:業態転換と業界再設計の作法

中川政七商店の事例から取り出せる学びを、ローカルグローススタジオ的に整理すると次のようになります。

  1. ビジョンを先に立て、業態をビジョンに合わせて変える
    「日本の工芸を元気にする!」は、ブランドのコピーではなく、SPA・コンサル・大日本市・鹿猿狐ビルヂングという複数の事業構造を統合する設計図でした。代替わり社長が最初に決めるべきは商品ラインではなく、ビジョンと、それを支える業態の組み合わせです。

  2. 業界全体の縮小を、自社の優位性に変換する
    工芸業界の縮小は中川政七商店にとっても逆風でしたが、同社はそれを「業界特化コンサル+直販流通」という形で、自社にとっての参入障壁に変えました。地方企業が業界縮小を前提に戦うとき、競合は減るが取引先も減る。そこで「縮小する業界の中の最大プレーヤー」になる戦略は、複数の地方産地で再現可能性があります。

  3. 代替わりは「襲名」と「経営承継」を分けて設計する
    中川淳氏は2016年に「中川政七」を襲名し、2018年に経営を千石氏に渡しました。名を継ぐタイミングと、経営の実権を渡すタイミングを意図的にずらすことで、創業家のレガシーと、創業家外への経営移譲の両方を並立させています。地方企業の事業承継でも、この二段構えは参考になります。

  4. 創業地そのものをマーケティング資産にする
    鹿猿狐ビルヂングは、奈良という創業地を「販路」ではなく「目的地」に変える施設です。能作の新本社(高岡)と同様、地方企業にとって最大のマーケティング投資は、すでにある拠点を観光と街区の文脈に編み直すことかもしれません。

  5. 後継者選びの基準を、本人が言葉にして公開する
    中川淳氏は「リーダーの3要件」を公開し、千石氏とのスタイルの違いを社内外に向けて言語化しました。これは後継者個人の評価だけでなく、組織が新しいリーダーを受け入れるための土台づくりでもあります。地方企業の代替わりで最も難しいのは、社員と取引先に「なぜこの人なのか」を納得してもらう作業だ、と言われます。


本事例から見える経営とマーケの学び

中川政七商店の物語は、「老舗の代替わり」「業界の縮小」「創業家外への承継」という、地方企業が直面しがちな3つの宿題を、ビジョンの再設計と業態転換でまとめて引き受けた事例として読めます。重要なのは、中川淳氏が富士通という大企業での営業経験を経たうえで家業に戻り、奈良という創業地と業界全体を同時に再設計したことです。地方企業の成長は、外から持ち込んだ手法ではなく、創業地と業界の輪郭をビジョンに沿って描き直す作業から始まります。ブランドやリソースが薄い状態から成長を作る経営者にとって、中川政七商店の歩みは「何のために、何を継ぐか」を考えるための学びになります。


出典


※本稿は2026年5月16日時点の公開取材記事と公式発表を基に構成しています。固有名詞・数値は引用元の表記に従いました。記載に誤りがあった場合は、お問い合わせフォームよりご指摘ください。

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