グローススタジオレポート

地方企業の成長事例

節を活かす「森のかたち」と飛騨家具ブランドが100年蔵で築いた地方木工メーカーの再生

岐阜県高山の100年蔵の木工メーカーが、節を活かす"森のかたち"哲学とウォルナット圧縮木材の独自技術で「飛騨家具」ブランドを築いた地方企業の再生事例

企業概要(公開情報)

企業名
飛騨産業株式会社
所在地
岐阜県高山市
代表者
岡田明子(代表取締役社長) / 岡田贊三(代表取締役会長)
設立
1920年
業種
木工家具製造業
従業員数
約500名規模(取材時期により表記が揺れる)
承継の当事者
岡田贊三(2000年就任・元高山市内ホームセンター経営) → 岡田明子(2021年12月就任・元ユニクロ)
本記事の公開情報
2026-05-18 公開 / 出典 17本 / 本文約5,500字

今回取り上げるのは、岐阜県高山市で1920年(大正9年)に創業した飛騨産業株式会社です。100年以上にわたり「飛騨の匠」の系譜を引く木工家具メーカーが、輸入家具の波で廃業寸前まで追い込まれた状態から、高山市内のホームセンター経営者だった岡田贊三氏(2000年社長就任、現代表取締役会長)、そして元ユニクロの岡田明子氏(2021年12月代表取締役社長就任)へと2世代にわたる経営承継を経て、節を活かす「森のことば」シリーズ、圧縮スギ家具「HIDA」、ウォルナット拡張ライン、そして隈研吾デザインのカフェを併設した「HIDA高山店 森と暮らしの編集室」までを束ねる、地方木工メーカーへ姿を変えてきました。

本稿は、次の公開取材記事と公式発表をもとに、以下3点を整理します。

  • テレビ東京「カンブリア宮殿」
  • 日本経済新聞
  • 岐阜新聞
  • 中部経済新聞
  • ジェトロ
  • 宣伝会議『広報会議』
  • AXIS
  • コロカル(マガジンハウス)
  • TECTURE MAG
  • ICC FUKUOKA 2023カタパルト
  • 中川政七商店「読みもの」
  • 家具新聞
  • Hello Interior NOTE
  • 日本工芸産地協会
  • ものづくりドットコム
  • CBC MAGAZINE
  • 飛騨産業公式サイト
  1. 1920年の創業から廃業寸前まで──オーストリアの曲げ木がたどり着いた飛騨と、輸入家具の逆風
  2. 2000年代の打ち手──「節を活かす森のことば」とエンツォ・マーリ×圧縮スギ「HIDA」
  3. 100周年と次の経営承継──リブランディング・飛騨職人学舎・隈研吾の「椅子と珈琲」

1. 創業の地・飛騨高山──「飛騨の匠」とオーストリアの曲げ木が出会った1920年

飛騨産業の前身は、1920年(大正9年)8月に岐阜県高山町(現高山市)で設立された中央木工株式会社です(飛騨産業公式「沿革」、Wikipedia)。同社の歴史を紹介する複数の資料(飛騨産業公式、KOGEI STANDARD、Hello Interior NOTE、日本工芸産地協会)によれば、1920年、飛騨高山に2人の職人が訪れ、西欧ではブナ材を曲げて家具を作っているという技術を伝えました。地元の有志たちが資金を出し合い、町の伝統である「飛騨の匠」(飛鳥時代から続く木工技能集団)の技と西洋の曲木技術を組み合わせる、というかなり風変わりな会社が生まれます。これが中央木工株式会社で、1923年に飛騨木工株式会社、1945年に飛騨産業株式会社へと商号変更しました。

曲げ木技術そのものは、ドイツ生まれの家具職人ミヒャエル・トーネット(1796-1871)がウィーンを拠点に1842年に特許を取得した工法で、世界の椅子の量産化を一気に変えたと言われる革新でした(Wikipedia、飛騨産業公式「技を磨く 曲木」)。日本には明治末期に最初の曲木家具が輸入され、農商務省営林技師の佐藤五郎氏が1906〜1909年にかけてドイツ・オーストリアに留学し、曲木機械を持ち帰った経緯があります。飛騨の木工が、奈良時代に都へ駆り出されていた「飛騨の匠」の流れと、19世紀のウィーン発の量産曲木という、まったく異なる2つの系譜を1つの会社にまとめたのが1920年でした。

中央木工はその後、戦中・戦後の建材需要を経て、戦後の経済成長期にダイニングセット・椅子・ソファなどの木工家具メーカーへと姿を変えていきます。1952年からは、米国の家具小物ブランドから譲り受けた「キツツキマーク」(Woodpecker)を商標として採用し、長らく「キツツキマークの飛騨産業」として知られてきました(飛騨産業公式「新しい企業ロゴについて」、ブランド家具買取専門店掲載情報)。

しかしながら、1990年代の輸入家具の急増は飛騨産業に強い逆風となります。テレビ東京「カンブリア宮殿」(2017年11月30日放送回)の番組告知ページや同番組の取材レポートによれば、1990年代末の飛騨産業は多額の借金を抱え、廃業も視野に入る経営状態に追い込まれていました。「100年蔵」と呼ぶには、まだ80年ぶんの歴史でしかなかった時点での、最も深い谷でした。


2. 2000年・地元ホームセンター経営者の経営承継──「節を欠点ではなく主役にする」

ここから飛騨産業の物語が転調するのは、2000年に岡田贊三氏が代表取締役社長に就任した時点です。

岡田贊三氏は1943年に岐阜県高山市生まれ。1968年に立命館大学を卒業し、高山市内の家業の荒物屋を地域のホームセンターへと業態転換させた経営者でした(幻冬舎ゴールドオンライン「岡田贊三 著者プロフィール」、Buzip 岐阜の社長.tv)。55歳で家業の経営権を譲り、いったんは隠居生活に入っていたところに、飛騨産業の再建を託されるかたちで2000年に経営の前線へ復帰した、というのが各取材で語られている経歴です(カンブリア宮殿2017年放送回、テレ東プラス、中川政七商店「読みもの」)。

家具業界の門外漢にあたる岡田贊三氏が真っ先に手を入れたのが、トヨタ生産方式を参考にした生産現場の見直しと、輸入家具とは別の軸で戦うための商品開発でした(カンブリア宮殿2017年放送回、テレ東プラス「業界の異端児」レポート)。価格の安さで攻めてくる輸入家具と、低価格で殴り合っても勝てない──岡田贊三氏が選んだのは、飛騨産業が長らく持っていた「曲木」「飛騨の匠」「広葉樹を扱える現場」という資産を、別の文脈で再構成する道でした。

その象徴が、2001年に開発が始まったとされる「森のことば」シリーズです。コロカル(マガジンハウス、2015年公開)、中川政七商店「読みもの」、KOGEI STANDARDの取材によれば、それまでの家具業界では、木材の節(ふし)は商品価値を下げる「欠点」として扱われ、節のない一枚板や合板に塗装をかける作り方が主流でした。飛騨産業はこの常識を反転させ、「節こそ、その木が生きていた時間の記録である」と位置づけ直し、節を意匠の主役に据えるシリーズを2001年に発表します。

「節」が主役 ── 飛騨産業「森のことば」 ── 栗田家具センター「飛騨産業 森のことば」紹介ページ

「森のことば」はデザイナー・佐々木敏光氏との協業で生まれ、後に飛騨産業の代表シリーズとなりました。ダイニング、ソファ、収納、テーブルへと拡張され、長期間にわたって売れ続けるロングセラーへと育っています(飛騨産業公式「森のことば」シリーズページ、家具新聞などの業界紙取材)。

ここで読み取れる経営承継者の気づきは2つに整理できます。

第1は、「商品の欠点とされていた特徴を、商品の主役に書き換える」という発想転換です。節を消すために塗装と手間をかけていた業界にあって、節をそのまま見せる──しかも、植物オイル仕上げで木の質感をむしろ強める──のは、製造原価そのものよりも、商品の意味づけの組み替えでした。飛騨産業の物語で岡田贊三氏が「業界の異端児」と呼ばれる所以の1つは、この種の意味づけの組み替えが、戦略の中心に据えられていたことにあります。

第2は、デザイナーとの協業を制度として取り込んだことです。「森のことば」の佐々木敏光氏に始まり、後の柳宗理氏、エンツォ・マーリ氏、川上元美氏、隈研吾氏まで、飛騨産業は「自社単独で企画する」ではなく、「自社の技術を外部のデザイナーと掛け合わせる」という設計を、20年以上にわたって貫きました(飛騨産業公式「デザイナー」ページ、AXIS、JDN、コロカル各取材記事)。地方の製造業にとって、内製化が最も難しいのが企画とデザインの機能であることはよく知られていますが、飛騨産業はこれを協業によって解いてきた事例の1つとして読めます。


3. 圧縮スギ「HIDA」とエンツォ・マーリ──“森のかたち”を世界で語るための共通言語

「森のことば」と並んで、飛騨産業のブランド転換を象徴するのが、国産スギを圧縮加工した家具シリーズ「HIDA」です。

スギ(Cryptomeria japonica)は、日本の人工林面積の約4割を占める基幹樹種でありながら、軟らかすぎて家具材には不向きとされてきました(コロカル「飛騨産業 伝統の曲げ木が生かされた圧縮技術」2015年、HIDA Project公式「圧縮杉について」)。岡田贊三氏は2001年ごろからスギの圧縮技術の研究に着手し、2003年8月、地元の森林組合や製材所など5社と協同組合「飛騨杉研究開発」を設立、本格的な共同研究を始めます。2004年11月、飛騨産業の工場に1000トンと200トンの圧縮プレスを導入し、長年蓄えてきた曲げ木の技術を応用した針葉樹圧縮加工技術を確立しました(同コロカル、HIDA Project、飛騨産業公式「技を磨く 圧縮」)。

スギを高温で圧縮することで、軟材でしかなかったスギが家具材として使える硬度を獲得します。さらに飛騨産業は、2003年に岐阜県オリベ想創塾が主催したイタリアの工業デザイナー、エンツォ・マーリ氏の講演を機に、岡田贊三氏自身がマーリ氏に「私たちが気づいていない日本の美を、スギで表現してほしい」と依頼します(コロカル、AXIS、飛騨産業公式「エンツォ・マーリ」紹介)。世界で初めての圧縮スギ家具として2005年のミラノサローネに出品された〈HIDA〉シリーズは、欧州のデザイン業界に大きく刺さりました。

圧縮スギで作られた〈HIDA〉シリーズは、2005年のミラノサローネに出品され高く評価された ── 飛騨産業公式「エンツォ・マーリ」紹介ページ

その後、デザイナー川上元美氏との協業による圧縮スギ柾目仕様「KISARAGI」シリーズが2014年12月にリリースされ、同年のグッドデザイン金賞を受賞しています(飛騨産業公式「KISARAGI」、「美しい家具」サイト、JDN「ミラノで奮闘する日本の家具メーカー」2016年取材)。

ここで重要なのは、圧縮スギ技術が「単発のヒット商品」ではなく、「飛騨産業がどんなメーカーであるかを世界に対して説明する共通言語」として機能した点です。

  • 〈HIDA〉シリーズはミラノサローネでの評価を経て、ロンドン・パリ・ニューヨークのコンランショップでも販売されるようになった(KOGEI STANDARD、Hello Interior NOTE、JDN 2016)
  • 2006年に開業した表参道ヒルズには直営店「HIDA OMOTESANDO」が出店し、後に東京ミッドタウンのショップ「HIDA」へと拠点を移している(複数の業界紙、AXIS 2018)
  • 2016年の伊勢志摩サミットでは、首脳会議用テーブル(イトーキデザイン、三重県・尾鷲ひのき使用)を飛騨産業の工場で製作・納品し、椅子も金属部分を露出させない木製カバー仕様で製作している(飛騨産業公式「伊勢志摩サミット」、伊勢志摩経済新聞2017年)

経営承継者が「商品開発」と「PR」を別工程ではなく、1つの工程として扱った結果、輸入家具と価格で殴り合うのではなく、別の土俵で戦える地形が作られていきました。


4. 飛騨職人学舎──「職人を育てる学校」を自社で抱える経営判断

飛騨産業の事業転換でもう1つ象徴的なのが、2014年に開校した「飛騨職人学舎」です。

飛騨産業公式「時を継ぐ 飛騨職人学舎」、ものづくりドットコム、CBC MAGAZINE、通信制高校ナビ、厚生労働省「技のとびら」掲載資料によれば、飛騨職人学舎は飛騨産業が単独で運営する2年制の全寮制職人養成校で、入学金・授業料は無料、月額8万円(年額96万円)の奨学金が支給されます。在学中はスマートフォン使用禁止、アルコール禁止、寮内での恋愛禁止というかなりストイックな規律が敷かれ、1年目は手加工技術、2年目は機械加工と家具製造を学ぶ構成です(同各取材)。卒業後は飛騨産業社員として、現場での実務2年間を経て一人前の職人になっていきます。

社員数500名規模(時期により表記揺れあり、飛騨産業公式「会社概要」、リクナビ2026掲載情報)の家具メーカーが、自前で職人養成学校を抱えるという経営判断は、現場目線では決して合理的ではありません。短期で人を採るなら、即戦力を中途採用するほうが速いからです。それでも飛騨産業がこの判断を取った背景には、岡田贊三氏のカンブリア宮殿出演時のコメントとも符合する、「業界全体の人材枯渇」という時間軸の長い課題認識があります。

業界の未来を担う若き職人の育成に力を入れる ── カンブリア宮殿(テレビ東京)2017年11月30日放送回・番組告知ページ

地方の伝統産業で経営承継を経験する経営者にとって、飛騨職人学舎は「養成期間の短さで人を集める」のではなく「養成期間の長さで人を残す」という、人材戦略のもう1つの方向性を示しています。


5. 100周年を迎えた2020年──中川政七淳氏の一言と、4つの価値観

2020年8月、飛騨産業は創業100周年を迎えます。100周年事業の1つとして、宣伝会議『広報会議』2022年1月号と日本工芸産地協会レポートで紹介されているのが、社内外を巻き込んだリブランディングです。

『広報会議』のリブランディング解説によれば、転機は2018年、中川政七商店の13代目・中川政七淳氏(現会長)が飛騨産業を訪問した際の一言だったと記録されています。

飛騨産業さんは凄い取り組みを色々されているけど、世の中に伝わっておらず、もったいない ── 中川政七淳氏(中川政七商店)から飛騨産業へのコメント(『広報会議』2022年1月号、日本工芸産地協会レポート)

この一言が引き金となり、飛騨産業の若手中核メンバーがリブランディングの勉強会を始め、TUGBOATの岡康道氏に相談し、コピーライターの秋山晶氏に「100年使えるコピーを書いてください」と依頼するという、社外との濃い協業期間が始まります。全8回にわたる議論を経て、2021年10月、企業ロゴは「キツツキマーク」を品質保証マークとして残しながら、企業ロゴ自体を「HIDA」へと刷新しました(飛騨産業公式「新しい企業ロゴについて」、AXIS 2021)。新ロゴの「H」は組木、「I」は立木、「D」は曲木、「A」は住居や家具を象徴しています。

同時に、企業ビジョンとして「匠の心と技をもって、飛騨を木工の聖地とする」が策定され、4つの価値観として【人を想う】【時を継ぐ】【技を磨く】【森と歩む】が定義されました(飛騨産業公式「企業理念」「4つの価値観の物語」、『広報会議』2022年1月号)。

このリブランディングを社内側で牽引したのが、当時常務取締役だった岡田明子氏です。ICC FUKUOKA 2023の登壇プロフィールと飛騨産業のニュースリリース、岐阜新聞Webによれば、岡田明子氏は1983年高山市生まれ。南山大学外国語学部卒業後、2007年にユニクロに入社し、2011年に飛騨産業へ。生産現場、営業、海外事業を順に経験し、2016年に取締役、2017年に常務、2018年に専務、そして2021年12月に代表取締役社長に就任しています(岐阜新聞2021年、家具新聞、ICC公式登壇者プロフィール)。岡田贊三氏は同日付で代表取締役会長に退いています。

岡田明子氏が経営の前面に出てから、飛騨産業は「節を活かす」軸を新しい樹種にも広げています。原点である「森のことば」(主にナラ材)に続き、北米産ブラックウォルナットを使った「森のことばWalnut」シリーズが拡張ラインとして展開され、ウォルナット材を扱う技術と「節を活かす」哲学が直接結びつくかたちになりました(飛騨産業公式「森のことばWalnut」、「ウォルナット」材種ページ)。

地方の伝統産業の経営承継は「業界の常識を変えた創業者世代から、その文化を制度に落とす次世代へ」という流れを取ることがあります。岡田贊三氏が打った「節を活かす」と「圧縮スギ」のカードを、岡田明子氏は「制度・人材・拠点」のレイヤーに展開し直しています。


6. 100年蔵を観光地に変える──「HIDA高山店 森と暮らしの編集室」と隈研吾の「椅子と珈琲」

飛騨産業の100周年プロジェクトの中で、最も拠点設計に踏み込んでいるのが、2022年10月22日にオープンした「HIDA高山店 森と暮らしの編集室」です。

飛騨産業のプレスリリース(2022年10月)、TECTURE MAG、コロカル、隈研吾建築都市設計事務所の事例ページ、anoina(高山市の地域メディア)によれば、HIDA高山店は本社隣接地に複合ショップとしてリニューアル開業しました。

  • HIDAの木工家具を扱う本社ショールーム機能
  • 森の恵みをテーマにしたクラフトマーケット
  • 隈研吾氏が空間と椅子をデザインし、グラフィックデザイナー・原研哉氏が「椅子と珈琲」と命名した自然派カフェ
  • 100年の歴史を紹介する展示コーナーとアウトレット

カフェ「椅子と珈琲」では、隈研吾氏がデザインした「クマヒダ」「シカ」などの椅子で来店客が実際に座って木工家具を体験できる仕様になっています(隈研吾建築都市設計事務所 事例ページ、anoina取材記事)。下呂市「緑の館」の自家焙煎豆を一杯ずつハンドドリップで提供する設計で、家具メーカーのショールームを「木工家具を見に来る場所」から「飛騨高山の観光体験そのものに溶け込む場所」へと拡張しました。

ここでの経営承継者の意思決定は、能作(富山県高岡市)が新本社・工場見学・カフェ・観光案内施設を1つの街区にまとめた事例や、中川政七商店(奈良市)が鹿猿狐ビルヂングという複合商業施設で創業地を観光地化した事例と、構造的によく似ています。地方の老舗メーカーが、自社の物理拠点を「商品を売る場所」ではなく「ブランド体験の場所」に変えていく動きの、1つの典型例です。

岡田明子氏が代表取締役社長として最初に開けたカードの1枚が、この拠点リニューアルでした。日本工芸産地協会レポート(岡田贊三氏基調講演、2024年)では、飛騨産業の取り組みを「飛騨を木工の聖地とする」という社是の延長線上に位置づける語り口が紹介されています。100年蔵を「木工の聖地に向かう導線」として再設計する作業が、岡田明子社長就任以降の中心テーマになっていることが、複数の公開資料から読み取れます。


7. 編集視点:地方の木工メーカーが100年蔵を再設計するための作法

飛騨産業の事例から取り出せる学びを、ローカルグローススタジオ的に整理すると次のようになります。

  1. 「欠点」を「主役」に書き換える意味づけ転換
    節は欠点ではなく、その木が生きていた時間の記録である──「森のことば」が打ち出したこの意味づけは、価格・性能で輸入家具と殴り合わない選択肢を作りました。地方企業の経営者にとって、自社の「欠点」とされてきた特徴(土地が遠い、規模が小さい、職人の手作業が残っている等)を主役に書き換える発想転換は、再現可能な打ち手の1つです。

  2. 企画とデザインは協業で取り込む
    佐々木敏光氏、柳宗理氏、エンツォ・マーリ氏、川上元美氏、隈研吾氏まで、飛騨産業は外部デザイナーとの長期協業を制度化しました。社員500名規模の地方メーカーが、内製化ではなく協業の窓口担当者を社内に置く方が、結果的に成長を作れる場合があります。

  3. 技術投資と商品開発は1工程として設計する
    1000トンプレスを導入し圧縮スギを工業化する技術投資と、エンツォ・マーリ氏に「日本の美をスギで表現してほしい」と依頼する商品設計は、別工程ではなく1つの設計でした。グッドデザイン金賞・ミラノサローネ・伊勢志摩サミット採用は、この一体設計の結果です。

  4. 経営承継は2世代をまたぐ仕組みづくりとして設計する
    2000年に岡田贊三氏が再建のために就任し、2021年に岡田明子氏が次世代社長に就任──この21年間で「節を活かす」「圧縮スギ」「飛騨職人学舎」「リブランディング」「拠点リニューアル」というカードが順番に切られています。地方企業の経営承継は1回のイベントではなく、世代をまたいだ手順設計です。

  5. 拠点は売り場ではなく、ブランド体験の場として再設計する
    HIDA高山店の隈研吾デザインカフェは、家具メーカーのショールームを観光体験の場に変えました。地方企業にとって、自社の物理拠点はすでに主要なブランド資産で、「家具を売る」より「飛騨で家具を見る体験」を売る設計に組み替えられます。


本事例から見える経営とマーケティングの学び

飛騨産業の物語は、地方の木工メーカーが抱える「輸入家具との価格競争」「広葉樹資源の偏り」「職人の世代交代」を、2世代の経営承継と長期の協業設計で解いていった事例として読めます。重要なのは、岡田贊三氏が家具業界の外から入り、家具業界の常識(節は欠点・スギは家具材にならない)を疑うところから戦略を組み立てたこと、そして岡田明子氏がその文化を制度と拠点へと落とし直していることです。地方企業の成長は、外から持ち込んだ手法ではなく、自社が立っている地面の解像度を上げる作業から始まります。ブランドやリソースが薄い状態から成長を作る経営者にとって、飛騨産業の歩みは「何を欠点と呼び、何を主役と呼ぶか」を考えるための学びになります。


関連:ローカルグローススタジオ・グロースマガジン

本事例の学びと共通する、グロースマガジン(https://lgstudio.jp/magazine/)の解説記事を2本紹介します。

1. 地方企業/スタートアップに共通する、低リソース・ブランド無しの戦わない戦略

共通点: 飛騨産業が選んだ「節を欠点ではなく主役にする」「家具材に不向きとされたスギを圧縮加工で家具材にする」という打ち手は、輸入家具と価格・規模で殴り合わない、本記事が示す「戦わない戦略」の典型的な実装です。低リソース・ブランド無しの状態から始める地方企業が、業界の常識を疑い直すところから戦い方を組み替える、というコア発想と直接対応しています。

2. インサイトを理解する 〜「本当は○○したい」をつかむ〜

共通点: 飛騨産業の「森のことば」「圧縮スギHIDA」「HIDA高山店 森と暮らしの編集室」が共通して掴んでいるのは、家具を買う顧客の「節のない完璧な木材が欲しい」という表層の要望ではなく、「自然や森と暮らしを地続きに感じたい」という潜在的な欲望です。本記事が示す「本当は○○したい」をつかむフレームが、商品開発から拠点設計までを貫いている事例として読めます。


出典


※本稿は2026年5月18日時点の公開取材記事と公式発表を基に構成しています。固有名詞・数値は引用元の表記に従いました。従業員数は取材時期によって表記が揺れているため、本文では「500名規模」と表記し、出典に応じて補足しています。記載に誤りがあった場合は、お問い合わせフォームよりご指摘ください。

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