グローススタジオレポート

地方企業の成長事例

不祥事V字回復と工場見学パーク型ブランディングの代表

北海道土産の代名詞「白い恋人」が2007年の賞味期限改ざんから工場見学パーク・新製品開発・銀座出店でV字回復した、地方発ブランドの危機管理と再ブランディングの事例

企業概要(公開情報)

企業名
石屋製菓株式会社
所在地
北海道札幌市西区
代表者
石水 創(代表取締役社長)
設立
1947年
業種
製菓業/観光施設運営
従業員数
約790名(石屋製菓・石屋商事 合計、2024年4月時点)
承継の当事者
石水勲(2代目・創業者長男) → 島田俊平(外部招聘・2007年) → 石水創(3代目・勲長男・2013年)
本記事の公開情報
2026-05-18 公開 / 出典 16本 / 本文約5,500字

今回取り上げるのは、北海道札幌市西区宮の沢で1947年に創業した石屋製菓株式会社です。1976年発売のホワイトチョコレートをラング・ド・シャで挟んだ「白い恋人」が北海道土産の代名詞となり、最盛期の2006年度には売上高180億円規模に達したと各取材で報じられています。その同社が2007年8月に賞味期限改ざんと食品衛生問題で操業停止処分を受け、創業家社長の引責辞任と外部からの社長招聘というかたちで再建に踏み出し、2024年4月期にはグループ売上192億円規模、従業員約790名にまで戻したことが日本経済新聞・北海道新聞・財界さっぽろなどの公開報道で確認できます。

本稿は、次の公開取材記事と公式発表をもとに、以下4点を整理します(詳細は末尾の「出典」を参照)。

  1. 1947年創業から「白い恋人」誕生まで──戦後の澱粉加工から北海道土産の代名詞へ
  2. 2007年の賞味期限改ざん事件──操業停止と外部社長による再建着手
  3. 白い恋人パーク──工場をテーマパークに転換した産業観光モデル
  4. 3代目・石水創社長への承継と、新製品・銀座出店・海外展開

1. 1947年創業から「白い恋人」誕生まで

石屋製菓の起点は、創業者・石水幸安(1917-1985)が1947年10月に札幌市北区茨戸で始めた政府委託の澱粉加工業です(Wikipedia「石屋製菓」「石水幸安」、財界さっぽろ「石水創社長が語る『石屋製菓の母』」)。石水幸安は北海道雨竜郡一已村(現深川市)の出身で、戦前は南満州鉄道に勤務し、戦後の引き揚げ後に北海道で食品加工を起業した経歴を持っています(四国中央市公開資料「宇摩郡関川村の石水家」)。

その後、1948年にドロップス製造を開始し、1957年に生菓子製造に進出。1959年10月に「石屋製菓株式会社」として法人化され、ここから今日の同社の事業基盤が整っていきます(石屋製菓公式「会社概要」、Wikipedia)。

転機となったのは1976年12月の「白い恋人」発売です。同社の説明と日本弁理士会「社長の知財」掲載の解説によれば、商品名は、創業者・幸安がスキー帰りに雪を見て発した「白い恋人たちが降ってきたよ」というひと言を、当時専務だった二代目・石水勲(幸安の長男)が商品名として採用したことに由来しています。1968年公開のフランス映画『白い恋人たち』の連想や、1972年の札幌オリンピックを契機とした北海道観光ブームが背景にあったとされます(日本弁理士会「社長の知財」、北海道マガジン「カイ」特集、Wikipedia「白い恋人」)。

商品名は、創業者・石水幸安が雪を見て発した「白い恋人たちが降ってきたよ」というひと言から ── 日本弁理士会「社長の知財」掲載 北海道を代表する銘菓 白い恋人のブランド秘話

「白い恋人」は、北海道産生乳から作るホワイトチョコレートを、フランス語の「猫の舌(ラング・ド・シャ)」を意味する薄焼きクッキーで挟んだ構成です。1986年にはモンドセレクション金賞を受賞し、1990年代以降、新千歳空港・札幌駅の土産売場での販売を通じて、北海道土産の代名詞となっていきます(石屋製菓公式、北海道マガジン「カイ」、Wikipedia「白い恋人」)。

ここまでの石屋製菓は、創業者の起業から長男・石水勲への代替わり、そして長期ヒット商品の確立という、地方の老舗食品メーカーとして典型的な成長軌跡を歩んでいました。同社が次の局面に進むのは、2007年の事件によってです。


2. 2007年の賞味期限改ざん事件──操業停止と外部社長による再建着手

2007年8月14日、石屋製菓は記者会見を開き、自社工場製造のアイスクリームから大腸菌群、バウムクーヘンから黄色ブドウ球菌が検出されたことを公表しました。あわせて、「白い恋人」の一部商品で賞味期限を1か月延長する改ざんを行っていたことも明らかにしています(日本経済新聞、Wikipedia「石屋製菓」、エフシージー総合研究所「あの企業事件を振り返る 2007年8月」)。

会見の翌々日、2007年8月16日には、石水勲社長自身が改ざんの追加情報を公表しています。当初公表の30周年記念限定品4,328箱だけでなく、1996年頃から約11年にわたり日常的に、社長の了承のもとで改ざんが続いていた事実が明らかになりました(イミダス「白い恋人偽装」、エフシージー総合研究所、ITmedia「不祥事からの脱出」、北海道経済産業局公開資料『開発こうほう』2009年9月号)。さらに、「美冬」「ミルキーロッキー」「コーティングチョコレート」「オレンジコンフィ」「鳴子パイ」「マイスタークッキー」など複数商品で賞味期限の延長表記が確認されました。これを受け、北海道庁は石屋製菓に対し操業停止の行政処分を下しています(エフシージー総合研究所、ITmedia、Wikipedia)。

百貨店・土産店からは石屋製菓の商品が一斉に撤去され、新千歳空港や札幌駅の土産売場から「白い恋人」が消える事態となりました(NTT東日本「白い恋人の石屋製菓が不祥事から『再建』した力とは」、日本食糧新聞、北海道リアルエコノミー)。最盛期2006年度に180億円規模だった売上は、翌2008年度には大幅に落ち込み、複数の経営解説記事で「180億円から70億円規模まで縮小した」という言及が確認できます(税理士法人タイガー「奇跡のW字復活劇」)。

経営の立て直しは、メインバンクである北洋銀行が主導しました。日本食糧新聞および北海道リアルエコノミーの取材によれば、北洋銀行は操業停止中の運転資金を融資する条件として、創業家社長の退任と、同行取締役だった島田俊平氏(1944年生まれ、北海道大学経済学部卒・元北洋銀行常務)の社長就任を提案。2007年8月22日に石水勲社長は辞任し、島田俊平氏が代表取締役社長に就任しました(Wikipedia「島田俊平」、日本食糧新聞、北海道リアルエコノミー「石屋製菓前社長島田俊平氏の子息がひき逃げされ非業の死」、note「torov」追悼記事)。

島田俊平氏の就任直後に同社は、社外有識者で構成される「コンプライアンス確立外部委員会」を設置しました。同委員会の報告書は、石屋製菓公式サイトに2007年11月13日付で全文公開されています。報告書では、賞味期限改ざんが「期限切れ製品の廃棄損失回避」と「販売機会の確保」を目的に続けられてきたことが指摘されました。あわせて、品質管理担当者の独立性が確保されていなかったこと、内部監査機能が機能していなかったことなど、ガバナンス上の構造問題も具体的に示されています(石屋製菓「コンプライアンス確立外部委員会報告書」2007年11月)。

期限切れ製品の廃棄損失回避と販売機会の確保を目的として賞味期限の延長表記が継続されていた ── 石屋製菓 コンプライアンス確立外部委員会 報告書(2007年11月13日)

この報告書のもう1つの要点は、再建策として「マイナス要素もすべて公表し、その対策を包み隠さず伝える」という方針を採ったことです。NTT東日本「BizDrive」の解説記事や宝島社『「白い恋人」 奇跡の復活物語』(2017年刊行、現社長・石水創氏インタビューを収録)では、この透明性の方針が、北海道庁・流通各社・消費者に対する信頼回復の起点になったと整理されています。

操業再開後、「白い恋人」は2007年11月22日に道内販売を再開し、2008年から徐々に従来の流通に戻っていきました(Wikipedia「石屋製菓」、北海道経済産業局『開発こうほう』2009年9月号)。島田俊平氏は社長就任後、週1回の社内連絡会で従業員と直接対話する機会を設け、内部の風通しを変える取り組みを進めたと、複数の取材で語られています(日本食糧新聞、note「torov」、Wikipedia「島田俊平」)。

地方企業の不祥事は、しばしば「経営者個人の謝罪」で終わってしまいがちです。石屋製菓のケースが他社事例と分けて読まれているのは、メインバンク主導での外部社長招聘、外部委員会による原因の構造分析、再建策の全文公開、という3点を組み合わせて実行したからだと言えます(ITmedia「不祥事からの脱出、2つの事件から見えた成否を分けるもの」、NTT東日本「BizDrive」)。


3. 白い恋人パーク──工場をテーマパークに転換した産業観光モデル

石屋製菓を語るうえで、もう1つ重要なのが「白い恋人パーク」の存在です。同パークは、操業停止の事件より前、1995年7月に「チョコレートファクトリー」として開業した、白い恋人本社工場併設の見学・体験施設です(白い恋人パーク公式、Wikipedia「白い恋人パーク」、野村工芸社「実績紹介 白い恋人パーク」)。

設計コンセプトは、英国チューダー様式の建物群、ローズガーデン、おもちゃ博物館、製造ライン見学、お菓子作り体験を組み合わせた「観て・知って・味わって・体験できるチョコレートエンターテインメント施設」です。事件後も施設運営は継続され、2011年には施設名を「白い恋人パーク」に変更しています(白い恋人パーク公式)。

2019年7月12日、同パークは大規模リニューアルを実施しました。3階フロアには「チョコトピアファクトリー(工場見学)」「チョコトピアハウス(チョコレート史展示)」が再編され、新たに「チョコトピアマーケット(飲食・体験エリア)」が設けられました。これまで見学できなかった「バウムクーヘン」の製造ラインも、ガラス越しに見えるようになっています(石屋製菓プレスリリース、いこーよニュース「白い恋人パーク大規模リニューアル」、北海道公式観光サイトHOKKAIDO LOVE!、白い恋人パーク公式「チョコトピアファクトリー」案内ページ)。

「白い恋人」と「バウムクーヘン」の製造ラインがガラス越しに見学でき、1日に最大で約30万個の白い恋人が作られる ── 白い恋人パーク公式「チョコトピアファクトリー」案内ページ

来場者数については、複数の観光ガイド・旅行サイト記事で「年間約75万人」という規模が紹介されています(asoview「白い恋人パーク 徹底取材」、kkday「札幌の白い恋人パーク」)。北海道土産メーカーが自社工場を観光地化することで、製造現場そのものをマーケティング資産に変えた代表例として、行政・観光業界の解説でも繰り返し参照されています(北海道経済産業局『開発こうほう』2009年9月号、札幌市公式観光サイト)。

ここで重要なのは、白い恋人パークが「事件後の再建のために作られた施設」ではなく、事件以前の1995年から運営されていた施設だという点です。すでに観光導線と直接接点を持っていたことが、操業再開後の信頼回復──「ガラス越しに製造現場が見える透明性」を実感ベースで示せたこと──にも結果的につながりました。事件以降のリニューアルでは、見学範囲の拡張(バウムクーヘンラインの公開)と展示の刷新が、過去の不祥事を踏まえた「見せる工場」の意図的な強化として読めます(白い恋人パーク公式、いこーよニュース、HOKKAIDO LOVE!)。

中川政七商店の「鹿猿狐ビルヂング」や能作の新本社工場と並べると、石屋製菓の白い恋人パークは、地方の食品メーカーが自社拠点を「販路の終点」から「観光の起点」に変えた、最も早い時期の例の1つだと位置づけられます。


4. 3代目への承継と新製品開発・銀座出店・海外展開

2013年7月、島田俊平氏は社長を退き、相談役に退任します。後任に就任したのは、創業者・幸安の孫で、2代目・石水勲氏の長男にあたる石水創氏(1982年生まれ、当時31歳)です(日本食糧新聞「石屋製菓、新社長に石水創氏」、Wikipedia「石水創」、財界さっぽろ「石水創社長が語る」2021年)。

石水創氏は札幌市出身で、東洋大学法学部経営法学科卒、小樽商科大学大学院商学研究科アントレプレナーシップ専攻修了。2004年に石屋製菓へ入社、2006年に取締役、2008年に常務、2009年に専務、2010年に副社長を経て、2013年7月に代表取締役社長に就任しました(Wikipedia「石水創」、月刊クォリティ「石水創氏 石屋製菓社長」、社長名鑑インタビュー)。

ここで石屋製菓の代替わりが特徴的なのは、2007年の事件後、創業家から外部(島田氏)、そして再び創業家(創氏)へと、社長職が二段階で渡っていることです。事件直後の創業家退任、外部主導での再建、創業家3代目への返還──この時系列は、地方企業の事業承継で「世襲」と「外部招聘」を二者択一で考えがちな議論に対して、両者を時系列で組み合わせるという第三の選択肢を示しています。

3代目・石水創社長就任後の主な打ち手として、各取材で繰り返し言及されているのは次の領域です。

1つは、「白い恋人」依存からの脱却を意識した新製品開発です。2003年に発売されたミルフィーユ菓子「美冬(みふゆ)」は石水勲時代から育てられた商品で、創社長就任後にラインアップが拡張されました。2023年12月には20周年記念商品「美冬 おとなショコラ」を発売しています(石屋製菓プレスリリース2023年11月、PR TIMES)。その後も季節限定の「美冬さつまいも」など派生展開を継続しています(石屋製菓公式お知らせ2024年8月)。

2つめは、北海道外への直営展開です。2017年4月、東京・銀座にギフト特化のブランド「ISHIYA G(イシヤジー)」の1号店を出店。これは石屋製菓にとって北海道外初の直営店でした(石屋製菓公式「店舗案内」、ISHIYAオンラインショップ「ISHIYA G ブランド紹介」、GINZA SIX出店リリース)。ブランド名の「G」は、Gift(贈り物)・Grace(品格)・Ginza(発祥地)を意味するとされ、北海道土産の枠を超えた「贈答菓子」というポジションが設定されています。2020年9月にはGINZA SIXに「ISHIYA G GINZA SIX」が出店、2021年には「ISHIYA NIHONBASHI」がコレド室町テラスに開業し、東京での直営拠点を増やしています(石屋製菓公式店舗案内)。日本経済新聞は、2019年7月19日付の記事「石屋製菓、脱『白い恋人』依存 着々と 銀座から全国へ」で、ISHIYA Gを中心とする北海道外戦略を「白い恋人依存からの組み替え」として紹介しています。

3つめは、海外展開です。2021年12月29日、アラブ首長国連邦(UAE)ドバイ首長国「ドバイ・モール」内に「白い恋人」販売店をオープンしました。これは石屋製菓にとって中東初の正規販売拠点であり、ドバイ限定規格の商品も投入しています(石屋製菓プレスリリース2021年11月、PR TIMES、AMP「白い恋人 中東初進出」、北海道新聞「土産依存から脱却、海外で勝負 ドバイへ初進出の石屋製菓」2021年)。北海道新聞の同記事で石水創社長は、新型コロナウイルス感染症によるインバウンド消失を契機に、土産依存から海外で売る形への転換を進めていると語っています。

4つめは、グループ事業の拡張です。2015年6月、石屋製菓は和菓子・惣菜の老舗「サザエ食品」(本社・札幌)の道内事業を100%子会社として継承し、首都圏事業の不振で会社整理を決めていた同社の北海道内72店舗と従業員を雇用ごと引き継ぎました(日本経済新聞「石屋製菓、サザエ食品の道内事業買収」2015年3月、山田コンサルティンググループ公開M&A事例、Wikipedia「サザエ食品」)。「白い恋人」が「サザエ」を助けるかたちでの事業承継であり、北海道リアルエコノミーは「白い恋人がサザエを助ける」と表現しています。

そして2025年1月、石屋製菓はJリーグ・北海道コンサドーレ札幌を運営する株式会社コンサドーレを6億円増資により持株比率60%で子会社化し、石水創社長が同社代表取締役社長を兼任することが公表されました(日本経済新聞「石屋製菓、コンサドーレを子会社化 石水氏が社長兼任」2025年1月、北海道文化放送UHB「コンサドーレ 石水創社長」、道新スポーツ)。地元プロサッカークラブの経営を地元企業が引き受けるという、地方の地場ブランドにとって象徴的な動きです。

業績面では、グラフで決算「石屋製菓」(2024年公開分)および石屋製菓・石屋商事の公開会社概要によれば、2024年4月期のグループ売上(石屋製菓+石屋商事)は192億8,436万円、従業員数790名(製菓470名+商事320名、2024年4月時点)に達しています。最盛期2006年度の180億円規模を上回り、事件後の最深底からはおおむね倍以上の水準に戻したことになります(石屋製菓公式「会社概要」、グラフで決算「石屋製菓」、マイナビ「ISHIYAグループ」会社概要)。

なお、2代目・石水勲氏は事件後の引責辞任を経て、2009年7月に顧問として復職、同年9月に取締役相談役、2011年7月に代表権のある会長として復帰し、2021年7月に名誉会長に退いた後、2021年9月26日に逝去しています(Wikipedia「石水勲」、財界さっぽろ「追悼・石屋製菓名誉会長の石水勲さん」、北海道リアルエコノミー「石屋製菓・石水勲氏逝く」)。創業家への経営回帰は、創氏が父・勲氏とともに約8年間並走したのちに、勲氏の逝去をもって完了した、という時系列で読み解けます。


5. 編集視点:不祥事V字回復と工場見学パーク型ブランディング

石屋製菓の事例から取り出せる学びを、ローカルグローススタジオ的に整理すると次のようになります。

  1. 不祥事の再建は「謝罪」ではなく「ガバナンス構造の作り直し」で進める
    2007年の事件後に石屋製菓が採ったのは、創業家社長の辞任、メインバンクからの外部社長受け入れ、外部委員会による構造分析の全文公開、という三点セットでした。原因を経営者個人の問題に矮小化せず、品質管理担当の独立性確保や内部監査の整備までを公開資料として残したことが、その後の信頼回復の土台になっています。

  2. 工場を観光資産に変える設計を、平時から仕込んでおく
    白い恋人パークは事件の12年前、1995年に「チョコレートファクトリー」として開業しています。事件後の「見せる工場」としての価値が際立ったのは、平時に作られた施設が、結果として透明性を実物で示せる装置になっていたからです。地方の食品・製造業にとって、自社拠点を観光導線に乗せておくことは、危機管理上のレジリエンスにもなり得ます。

  3. 「世襲」と「外部招聘」を時系列で組み合わせる
    創業家(石水勲氏)→外部(島田俊平氏)→創業家(石水創氏)という二段の承継は、地方企業によくある「世襲か外部か」の二者択一を、時系列での組み合わせに置き換えた事例として読めます。事件直後は外部の信頼力で再建を進め、ガバナンス整備が一巡したのちに創業家3代目を迎える、というシーケンスです。

  4. 看板商品の依存度を、新製品・新業態・海外で計画的に下げる
    3代目就任以降の打ち手──「美冬」シリーズ拡張、銀座「ISHIYA G」、コレド室町「ISHIYA NIHONBASHI」、ドバイモール出店、サザエ食品の事業承継、コンサドーレ子会社化──は、「白い恋人」一本足からの分散と捉えられます。看板商品が強いほど、その依存度を下げる打ち手を経営者自身が言語化しておくことが必要になります。

  5. 創業地・札幌を、ブランドの主語にし続ける
    白い恋人パークも、ISHIYA Gの「Hokkaido in Ginza」のコンセプトも、ドバイ店の北海道産素材訴求も、創業地・札幌/北海道を主語に置いた発信です。事業領域は広がっても、「北海道のISHIYA」というブランドの主語を変えずに広げる、という設計思想が一貫しています。


本事例から見える経営とマーケティングの学び

石屋製菓の物語は、「全国区の看板商品を持つ地方企業」が、不祥事による存続危機を経験しながら、ガバナンス再構築・工場の観光資産化・新業態展開・海外進出・グループ再編を組み合わせて事業を作り直してきた事例として読めます。重要なのは、事件後の再建が一過性の「謝罪と回復」ではなく、外部委員会報告書の公開・「見せる工場」の制度化・創業家への段階的回帰など、構造として残るかたちで進んだことです。看板商品の強さが、結果としてその商品への依存リスクを生む──という、地方の長期ブランドに共通する宿題に対して、石屋製菓の歩みは「依存を作り出した構造ごと組み替える」という具体的な参考になります。


関連:ローカルグローススタジオ・グロースマガジン

本事例の学びと共通する、グロースマガジン(https://lgstudio.jp/magazine/)の解説記事を2本紹介します。

1. インサイトを理解する 〜「本当は○○したい」をつかむ〜

共通点: 「白い恋人」は、北海道土産という機能的便益の裏にある「北海道に来た記憶を持ち帰り、誰かに渡したい」という潜在的便益をつかんだ商品として読めます。1976年の発売から半世紀近く同じパッケージで売れ続けているのは、土産=記憶のお裾分け、というインサイトに本記事のフレームでいう「本当は○○したい」が貼り付いているからです。事件後に石屋製菓が信頼回復の主戦場を「白い恋人パークでの製造工程公開」に置いたことも、機能便益(品質)ではなくインサイト(安心して持ち帰れる土産)への再アプローチとして整理できます。

2. 顧客獲得コストを下げるには「ストック>フロー」を意識しよう

共通点: 白い恋人パーク(年間約75万人来場)・「白い恋人」「美冬」のロングセラー商品群・銀座/日本橋/ドバイの直営拠点という組み合わせは、本記事のいうストック型資産の積み上げそのものです。本事例の銀座「ISHIYA G」やドバイ進出は、新規顧客獲得をストック資産(自社直営+施設)経由で行う打ち手であり、流通棚に依存するフロー型販売との両輪設計です。事件後のV字回復が可能になったのも、白い恋人パークというストック資産が事件以前から存在していたからだ、と本記事のフレームで読めます。


出典


※本稿は2026年5月18日時点の公開取材記事と公式発表を基に構成しています。固有名詞・数値は引用元の表記に従いました。frontmatterで「岡村光信」を仮置きとした代表者は、複数の公式情報により現代表取締役社長が「石水 創」氏であることを確認のうえ修正しています。記載に誤りがあった場合は、お問い合わせフォームよりご指摘ください。

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